亀川純一の「新釈 行基伝」②

行基の越後誕生説は、景戒の「日本霊異記」にしか出てきませんが、行基帰化人または帰化人の息子だとすると、朝鮮半島から渡って来たというのがごく自然に考えられることです。

越後には遺構としての集落などの発見がされていませんが、発見されていないだけで「ない」とは言えません。

頚城郡・蒲原郡の海岸辺のどこかに漂着して、長期間定住はしていなくとも、一時的に居住してそこから関西方面および関東方面へと分かれて移動したと推測するのは決して無理ではないのです。

庚午年籍」の原本・写本が発見されていないか、遺されていないため慎重な大学の学者は明言・断言を避けているので、今まで書かれている論文を読むときは気を付けたほうがよいでしょう。

さてこの先は次回で・・・。

亀川純一の「新釈・行基伝」①

今回から私的見解を多く含む「行基伝」をスタート致します。

 

行基の出自・・・668年に河内の国に生まれたとされている行基ですが、「日本霊異記」では著者の景戒が「越後国頚城」の生まれと記しています。

この説はすでに古くから否定的に扱われていますが、私・亀川純一としては詳細はのちに記すとしてこの見解を支持します。

また本人はともかく親は、両方または片方が「渡来人・帰化人」とされていて、特に

王仁の末裔とも言われます。

ブログを始めてばかりのため第一回目はここまでとさせて頂きまして、次回以降順次述べさせて頂きます。